日刊工業新聞(2023年10月3日発行~)「激動の経営」にて、当社代表取締役 加藤泰弘の記事が掲載されました。

飛び込み営業で初受注
人懐っこさで親しまれ
廃棄物処理業と並び、長年培ったノウハウを生かして廃棄物契約書の作成から電子マニフェスト(産業廃棄物管理票)登録まで一元管理できる排出事業者専用クラウドサービス「シゲンクラウド」を提供するシゲン。創業社長の加藤泰弘は1988年、20代半ばで期せずして産業廃棄物処理の仕事に携わるようになった。
会社員として廃棄物処理業の経験を積み、7年後にアパートの一部屋でシゲンを創業
当時は70年代後半にヒットした日本映画「トラック野郎」シリーズの余韻もあって自らハンドルを握り、神奈川県内を中心に請け負いで建築現場へ屋根瓦を運ぶ仕事を5年ほど続けていた。だが、結婚することになり、加藤は生活の安定を求める。手っ取り早く、身内の紹介で就職したのが同県県央部の産業廃棄物処理業者だった。
それほど規模は大きくない会社で、仕事を覚えるため早出・残業をいとわず当初からがむしゃらに働き、現場作業だけでなく営業にも出ることになった。
時代はバブル全盛期。オーナーの社長から営業用に買い与えられたスーツは海外の有名ブランド品だった。加藤は「ただでさえ慣れないスーツに袖を通し、営業のイロハも分からないまま放り出されたようなもの」と笑う。
外回り営業で最初に飛び込んだのは鋳物工場だった。「仕事が取れなくても勉強になると思って廃棄物の担当者に会わせてほしいと頼んだら、受付からいきなり社長室に通されてしまった。その場の雰囲気もあって雑談ばかりでロクな営業もできなかったのに、帰り支度を始めたら社長が『お前、何しに来たんだ。明日、鉱滓を(こうさい)を出すから4トン車1台回せ』と」(加藤)。初めての飛び込み営業で初受注に成功した。
屋根瓦の配送で神奈川県内を走り回っていただけに、土地勘はあった。県央部を貫く幹線道路、国道246号線沿いにある工場・事業所をローラーをかけるように飛び込みで訪問。営業センスの目覚めは早く「片っ端から仕事が取れて、どんどんがおもしろくなっていった」(同)と当時を振り返る。
もちろん、バブル経済という時代背景もあったろう。だが、それ以上に光るのはいつも笑顔を絶やさず、人懐っこさで親しまれる加藤の人間性。「会社に入った当初、いじめもあった」と何の嫌みも感じさせずに話す。加藤を知る人が「とてもチャーミングで、人たらし」と評するのもうなずける。(敬称略)
▽所在地=横浜市中区山下町70―13▽社長=加藤泰弘氏▽創業=95年(平7)3月▽資本金=2000万円▽従業員=25人▽売上高=約9億円(23年2月期)
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00687801

ゴミ分別、市から難題
協組設立へ同業者を説得
1980年代後半から90年代前半にかけて続いたバブル経済。時代を映すようにテレビから「24時間戦えますか」というキャッチコピーで栄養ドリンクのCMソングが流れた。景気拡大に伴い廃棄物が急増し、不法投棄が横行したのもこの時期だ。
92年設立の座間市リサイクル協同組合と運営する「座間市資源リサイクルセンター」
シゲン(横浜市中区)社長の加藤泰弘が産業廃棄物処理会社に就職した時は、早く仕事を身に付けたくてバブルの申し子のように働いた。バブル経済では労働力も売り手市場となって転職や独立を促す側面があり、加藤の入社後2―3年で上司や同僚が相次いで退職。気が付けば番頭格として現場を仕切り、会社を代表し地域や業界の会合にも顔も出す立場になっていた。
加藤は当時を振り返り「会合に出たら、まず名刺を配っていた」と話す。笑顔からあふれ出る持ち前の人懐っこさは、間違いなく相手の心に刻まれる。課題に対し、真摯(しんし)に向き合う姿勢は仕事と一緒。時間を要さず、関係者から一目置かれる存在になったのは想像に難くない。
加藤が働いていた神奈川県県央部は高度成長期に道路網が整備されて工場・事業所が立地し、郊外のベッドタウンとしても発展した地域。バブル期にはご多分に漏れず、廃棄物の不法投棄が社会問題化した。その処理で地元の座間市から相談を受けることが多かった加藤に、大きな宿題が投げかけられる。行政組織だけでは対応しきれない家庭ゴミ分別収集の実現だ。
91年の廃棄物処理法改正で廃棄物の排出抑制と分別・再生(再資源化)が目的に加えられ、いわゆる資源ゴミの収集が全国的に広がり始めていた。不燃ゴミとして扱われてきた缶やビン、燃やさずに再資源化できる紙類などを分別し、市内事業者で収集する体制づくりが加藤に託された。
当時、座間市内で一般廃棄物収集運搬許可を持っていたのは十数業者。加藤は「再資源化にかかわる市内全事業者の参加」を目指し、市当局とも連携して市内の廃品回収業者にも参画するように働きかけた。
「もともと競合する関係にある事業者を組織化するのに、漏れがあっては禍根を残す」(加藤)という考えからだ。懸念を示す事業者には膝をつき合わせて分別収集の意義と参画のメリットを説き、92年に座間市リサイクル協同組合が発足。組合員が分担して市内の全集積所を週に一度回る収集が始まった。
開始に先立ち「市内2000カ所を超えるゴミ集積所をすべて回り、十分な集積スペースがあるかどうか確認した」(同)のも加藤らしい。(敬称略)
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/688283

ミッション成し遂げ独立
企業の分別“指南役”に
のちにシゲン(横浜市中区)を創業する加藤泰弘はバブルのさなか、神奈川県県央部の産業廃棄物処理業者に就職してがむしゃらに働いた。オーナー社長の下で実質的に会社を回す立場になり、地元自治体の要請に応えて資源ゴミを分別収集する座間市リサイクル協同組合の設立にも奔走。1992年の協組発足とともに運営を受託した座間市資源リサイクルセンター立ち上げ時は、作業員の教育・訓練も必要になって「会社で朝礼後、センターに駆けつける毎日」(加藤)を送った。
04年に開設した中間処理施設「シゲンリサイクル広場in横浜」
リサイクルセンターの操業が安定したころ、会社で加藤は焼却炉を備えた中間処理工場の開設を任され、無事に稼働させる。時代はバブル期から景気後退期に差しかかり、ミッションを成し遂げてきた加藤は立ち止まって考えた。「自分がすべきことは何か―」。そして95年に独立を決断。社名に思いを託し、シゲンを創業した。
加藤がこだわるのは、当たり前のようだが3R(リデュース、リユース、リサイクル)。分別すれば資源になるのに、不徹底で焼却処分せざるを得ない産廃の多さを痛感していた。自ら手がけた焼却炉で「燃やすのがつらかった」とも話す。無用な軋轢(あつれき)を嫌う加藤はこれまで仕事をしてきた県央部を避け、県東部の横浜地区で営業を始めた。
新天地で糸口をつかむために選んだのは古紙。「ダイレクトメールで『段ボール買います』と打ち、扉を開いてもらい産廃の話に持っていく」のが加藤流。身につけた知識と営業センスを遺憾なく発揮し、会社は順調な滑り出しをみせた。
そんな加藤に、段ボールを持ち込んでいた古紙問屋から「営業に付き合ってほしい」と声がかかる。同行した先は大手電機のグループ事業所。加藤は産廃として出される乱雑なゴミを目の当たりにして、担当者に思わず「全部売れますよ」と口走った。実際にゴミを持ち帰って分別してみると8割が紙くず。加藤のアドバイスで分別を徹底したその事業所は産廃量を3分の1に減らし、産業界の注目を集めることとなる。96年に環境管理の国際規格「ISO14001」が発行したことも背景に、企業の廃棄物担当者の間で加藤は“指南役”として知られる存在になり、請われれば遠方にも出向いた。
一方で、シゲンは営業展開を始めた横浜市内に04年、中間処理施設「シゲンリサイクル広場in横浜」を開設。3Rを実践すべく、混合廃棄物の分類・選別を徹底して可能な限りリサイクルする体制を整えた。(敬称略)
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/688867

開拓者であり続ける
「適正な処理」DXで担保
期せずして産業廃棄物処理の仕事に携わり、責務を果たしてきた加藤泰弘は廃棄物処理のあるべき姿を思い描いてシゲン(横浜市中区)を創業した。顧客に廃棄物を削減する分別を提案し、中間処理施設で受け入れた廃棄物も丁寧に選別して可能な限り再資源化する。シゲンは3R(リデュース、リユース、リサイクル)の旗振り役であり、処分を全うする実践者でもある。加藤社長(右から3人目)とシゲンクラウドを運用する社員
バブル崩壊のタイミングを計ったように地球環境問題が浮上し、1990年代半ばを迎えるころには大手企業にとって、環境負荷低減の取り組みが必須となっていた。廃棄物の削減は二酸化炭素(CO2)排出量削減と並ぶ取り組みの柱。加藤が最初にアドバイスして産廃量を3分の1に減らした事業所には、全国から見学者が詰めかけた。
指南を求められて出向いた地方の事業所でゴミの分別と再資源化を実践してもらうため、加藤は「その地域で廃棄物を受け入れてくれる業者も探してノウハウを提供した」という。加藤のアドバイスを受けた企業の廃棄物担当者も分別・再資源化の事例を説く伝道者となり、循環型社会を形作る3Rを浸透させていった。
加藤がモットーとするのは開拓者であり続けること。リサイクルによる資源循環が普遍化してきた現状を喜びつつ、今度は廃棄物処理法が排出事業者に責任として求める“適正な処理”をデジタル変革(DX)で担保する仕組みづくりに挑んだ。
開発に約3年を要して21年12月、廃棄物契約書の作成から電子マニフェスト(産業廃棄物管理票)登録まで一元管理できる排出事業者向けクラウド型システム「シゲンクラウド」のサービスを開始。日本産業廃棄物処理振興センターが運用する「JWNET」とのシステム連携により、紙マニフェスト伝票の保管や行政報告書の作成が不要になる。
廃棄物の適正な処理は排出事業者の責任だが、現実にはマニフェストの発行から処分までの管理をすべて業者任せにしているケースが散見される。また依然としてノーカーボン(感圧)複写紙のマニフェスト伝票が多く使われ、処理過程での紛失も起こる。
電子マニフェストなら返送されてくる帳票の照合を待たずにリアルタイムで処理状況を確認でき、紙でありながらリサイクルに適さないノーカーボン複写紙のマニフェスト伝票も排除できる。加藤は「電子マニフェストによるペーパーレス化を促し、改めて排出事業者に責任の自覚を求めたい」と奮い立つ。(敬称略)(この項おわり。横浜・青柳一弘が担当しました)
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/689177
